ぐにゃぐにゃの高校生を、諦めてはいけない。
今の子は、勉強しない。
いきなり厳しいことを言います。
今の子は、勉強しない。
もちろんすべての高校生が
そうだと言うつもりはありません。
必死に勉強している子もいます。
高い目標を掲げ自分を追い込んでいる子もいます。
でも進路指導の現場を回っていると
明らかに変わったと感じることがあります。
大学入試も専願が増えました。
関西では総合選抜(AO入試)や
公募推薦で進学先を決める生徒が多く
年が明けてからの一般入試を受ける生徒が
ほとんどいない、という高校も多いです。
みんな推薦で決まる。
早く決まる。
楽に決まる。
しんどい受験勉強をしなくても大学に入れる。
それは一見、いいことのように見えます。
でも私は、少し心配しています。
大学に入れるかどうかだけを考えれば
推薦で早く決まることは悪いことではありません。
ただその代わりに失っているものはないでしょうか。
私は、大学受験を「チャンス」だと思っている
私は大学受験をチャンスだと思っています。
受験勉強は、しんどいです。
遊びたい。
眠たい。
スマホを見たい。
今日はもうやめたい。
そんな自分を机の前に座らせなければならない。
誰かが代わりに勉強してくれるわけではありません。
先生がどれだけ熱心でも、
親がどれだけ応援しても、
最後に参考書を開くのは自分です。
受験勉強とは、自分との対話です。
「今日はやりたくない」
そんな自分を奮い立たせる。
「昨日より少しできた」
そんな自分を、自分でねぎらう。
模試の結果が悪かった。
落ち込む。
悔しがる。
それでも、もう一度机に向かう。
この繰り返しです。
派手ではありません。
誰も見ていないところで一人で自分と向き合い続ける。
それが受験勉強です。
部活動とは違う「筋肉」がつく
部活動にも大きな価値があります。
仲間と励まし合う。
監督や顧問に鍛えてもらう。
試合で勝つためにチームで頑張る。
そこでしか身につかない力があります。
でも受験勉強でつく筋肉は
それとは少し違います。
自分で始める力。
自分で続ける力。
誰も見ていなくても踏ん張る力。
一人で苦しさを乗り越える力です。
社会に出ると誰かがいつも
隣で励ましてくれるわけではありません。
自分で決めなければならないときがあります。
逃げたくても、逃げられないときがあります。
何をすればいいのか
自分で考えなければならないときがあります。
そのとき自分を支えてくれるものは何か。
私は、若い頃に何かを必死で乗り越えた
経験だと思っています。
「あのときも、しんどかった」
「それでも、自分は逃げずにやった」
その記憶が未来の自分を支えてくれるのです。
だから私は大学受験を単なる入学試験だとは思っていません。
自分を鍛えるチャンスだと思っています。
ほんまに、ぐにゃぐにゃだった
先日、ある高校へ行ってきました。
大半の生徒が卒業後の就職を希望している高校です。
担当の先生はとても情熱のある方でした。
生徒たちに何とか力をつけさせたい。
社会に送り出す前に少しでも成長させたい。
その思いが言葉の端々から伝わってきました。
ただ、その先生が少し寂しそうに言いました。
「こちらが言っても、なかなか生徒に届かないんです」
「面接練習でも、ぐにゃぐにゃですよ」
ぐにゃぐにゃ。
どれくらいぐにゃぐにゃなのか。
教室に入ってみると本当にぐにゃぐにゃでした。

椅子にきちんと座れない。
体をくねらせる。
こちらが話しているのに
最初から机に突っ伏して寝る。
ほんまに、ぐにゃぐにゃ。
軟体動物かと思いました。
「おいおい、これから就職するんやぞ」
正直そう思いました。
会社に入れば、お客様がいます。
上司がいます。
先輩がいます。
守らなければならない時間や約束があります。
嫌だから寝る。
しんどいから聞かない。
それでは通用しません。
社会はそこまで甘くありません。
でも、子どもたちだけを責めても何も変わらない
ここで間違えてはいけないことがあります。
「今の高校生はダメだ」
そう言って終わることです。
それでは何も変わりません。
確かに私たちが高校生だった頃と比べると
幼く見える生徒は増えたように感じます。
叱られることに慣れていない。
我慢する経験が少ない。
困ったら周りの大人が
先回りして助けてくれる。
そうした環境の変化もあるのでしょう。
でも彼らは好きで
「今の時代の子」に生まれたわけではありません。
スマホがある環境に生まれた。
短い動画が次々に流れてくる環境で育った。
嫌なものは指一本で飛ばせる世界に慣れてきた。
その子たちに私たちが高校生だった頃と
同じ伝え方をしても、届かないことがあります。
だから必要なのは
「最近の子は根性がない」
と嘆くことではありません。
どうすればこの子たちに届くのか。
そこを私たち大人が考えることです。
正しいことを言うだけでは、人は動かない
先生の言っていることは正しい。
姿勢を正しなさい。
挨拶をしなさい。
面接では相手の目を見なさい。
社会に出たら、そんな態度では通用しない。
全部、正しい。
でも、正しいことを言えば人が動くのなら
教育はこんなに難しくありません。
届かないのは先生に情熱がないから
ではありません。
生徒に可能性がないからでもありません。
伝え方が今の生徒たちに合っていないのかもしれない。
なぜ挨拶が必要なのか。
姿勢ひとつで相手にどんな印象を与えるのか。
面接官から自分はどう見えているのか。
就職した先で自分はどんな社会人になりたいのか。
ルールとして押しつけるのではなく
自分の未来とつなげて考えさせる。
一方的に叱るのではなく
本人に気づかせる。
小さな変化を見逃さず
「今の挨拶、よかったやん」
「昨日より顔が上がってるやん」
と、できた瞬間を言葉にして返す。
今の子たちにはそんな導き方が
必要なのではないでしょうか。
教師が諦めた瞬間、生徒は本当に動かなくなる
先生方。
しんどいと思います。
何度言っても伝わらない。
注意しても響かない。
こちらが本気になればなるほど
生徒は冷めた顔をする。
「もう、好きにしたらええやん」
そう言いたくなる日もあると思います。
でも、諦めないでほしい。
教師が諦めた瞬間
生徒は本当に動かなくなります。
表面では反応していなくても
聞いている子はいます。
その場では笑っていても
あとで思い出す子がいます。
卒業して、働き始めてから
「あの先生の言っていた意味、やっと分かった」
と気づく子もいます。
教育の結果はその場ですぐには見えません。
今日まいた種が明日芽を出すとは限らない。
数年後かもしれない。
十年後かもしれない。
それでも、誰かが種をまかなければ
芽は出ないのです。
ぐにゃぐにゃでも、人は変われる
私は、人は変われると思っています。
最初から立派な生徒だけを応援するのなら
教育はいりません。
挨拶ができない。
姿勢も悪い。
話も聞かない。
机に突っ伏して寝ている。
そんな子が、何かをきっかけに顔を上げる。
目の色が変わる。
自分から動き始める。
その瞬間に立ち会うために
教育があるのだと思います。
だから、ぐにゃぐにゃでもいい。
今は、まだそれでいい。
ただしそのまま社会に
送り出してはいけない。
叱り飛ばすだけでもダメです。
見放すのは、もっとダメです。
この子にはどんな言葉なら届くのか。
どんな体験なら自分の未来を考え始めるのか。
昨日より一歩だけ前に出てもらうには
何ができるのか。
私たち大人が知恵を絞り続けることです。
先生、一緒にやっていきましょう
今の生徒たちは昔より幼く見えるかもしれません。
我慢も苦手です。
自分から動くことも得意ではありません。
でも、それは可能性がないという意味ではありません。
まだ自分の力に気づいていないだけです。
本気になるきっかけに出会っていないだけです。
自分を奮い立たせて、何かを乗り越えた経験がないだけです。
だったらその最初の経験をつくりましょう。
一度で届かなくてもいい。
二度、三度、伝えましょう。
伝え方を変えましょう。
生徒の中にある小さな変化を見つけましょう。
そして昨日より少し顔を上げたら
その一歩を本気で喜びましょう。
先生。
諦めずに、やっていきましょうよ。
ぐにゃぐにゃだった子が
背筋を伸ばす瞬間は必ずあります。
人が変わる瞬間はいつも突然です。
その瞬間まで関わり続けることが
私たち大人の仕事なのだと思います。
私は、先生方と一緒に、その瞬間をつくりたい。
心から、そう思っています。