教えるか、気づかせるか。就活支援の現場で揺れ続ける私
最近は「コーチング」「気づかせる教育」が正解のように語られることが多い。
良い悪いの話ではない。時代の流れとして、自主性を引き出す関わりが重視されているのは事実だ。
ある方から、コーチングとティーチング、そしてチームビルディングを考える教材として、サッカー漫画の名作『GIANT KILLING』を勧められた。
その物語では、選手たちが自ら考え、フィールドの中でも外でも主体的に動き始める。監督はすべてを教え込むのではなく、環境を整え、問いを投げ、考えさせる。理想的だ。
だが、私は学生を相手にしている。
「いつか分かればいい」と「今、気づかないと危ない」
私の前に座る学生の多くは、「どうしても就職しないといけない」という切迫感を持っているわけではない。単位が欲しくて来ている。正直、それが大半だ。
私はどこかで思っている。「いつか分かればいい」と。
だが同時に思う。「早く気づかないと大変やで」と。
だから私は、ときに"教えてしまう"。
就職しないとどうなるか。選ぶ自由はあるが、その選択の先に何があるのか。選択の結果は、本人だけの問題ではない。社会にも影響する。気づかないまま大人になることは、この国の損失だとすら思っている。
だからこそ、黙って見守るだけではいられない。ティーチングをしてしまう。
まず教えないと、考えられないこともある
コーチングが理想だとしても、何も知らない人に「考えろ」と言っても、材料がなければ考えられない。
サッカーの魅力を知らない子に、戦術を考えさせることはできない。練習の意味を体験していないのに、自主性は芽生えない。
まずは伝える。まずは見せる。まずは体験させる。
いま、2026年冬季オリンピック、ミラノ・コルティナ五輪が開催されており、連日のメダルラッシュに沸いている。日本を代表する世界トップクラスのスキージャンパー、小林陵侑は、レジェンド葛西紀明のジャンプを見て憧れ、その道を志した。そこからひたすら練習を続けた。
だが、ある時期から小林の取り組み方が変わった。葛西の姿勢を見続ける中で、あることに気づいたのだ。葛西のジャンプから感じる覚悟。それが自分に足りなかったものだと気づいたとき、小林は世界最強ジャンパーへと飛躍した。
最初は憧れ。途中から覚悟。
葛西は「見せた」。でも「覚悟」を教えたわけではない。小林は「見て」気づいた。ただ、見せることなしには、この気づきは生まれなかっただろう。
私はコーチなのか、ティーチャーなのか
講師として教室に入ると、空気が変わるらしい。感化されると言ってくれる人もいる。
メソッドの話ではないらしい。存在そのものだという。
これはティーチングなのか。コーチングなのか。

正直、もうそこに縛られなくてもいいのではないかと思い始めている。
あなたがそこにいるだけで、誰かのスイッチが入るなら、それでいい。方法論より、在り方。
存在を残したい。でも、依存はさせたくない
自分の存在を強く残す人もいる。一方で、自分がいなくても回るチームをつくる監督もいる。どちらが正しいのか。
私は、存在感を残したい気持ちがある。だが、ずっと見ていられるわけではない。どこかで自走してほしいとも思う。
最初から自分で回るチームをつくる人は、本当にすごいと思う。私はまだ、そこまで達観できていない。
単位目的の中にも、スイッチはある
単位が欲しくて来ている。それでもいい。
その中に、必ずスイッチがあると信じている。

就職がスイッチとは限らない。誰かの言葉かもしれない。悔しさかもしれない。成功体験かもしれない。
その瞬間に立ち会えたら、世の中は少し良くなる。それを信じている。
教えることと、気づかせることのあいだで
ティーチングか、コーチングか。正解はたぶん、どちらかではない。
教えなければ届かないことがある。だが、教え過ぎれば奪ってしまう。
気づかせたい。でも、気づく準備ができていない人もいる。その狭間で揺れるのが、私の葛藤だ。
それでも今日も教室に立つ。単位目的の学生たちの前で。
いつかではなく、できれば今、スイッチが入ることを願いながら。
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