「選ばれる側」に立つ勇気を持て。
夏休み前、とある大学の学生が30人集まったイベントがあった。
これは夏休みの前後2回のシリーズ講座。
でも、夏休み明けの後編には7人しか来なかった。

なぜか?
夏休み明けは「本選」——つまり、“選ばれるタイミング”だからだ。
インターンまでは学生が「選ぶ側」。
ところが秋からは、企業が「選ぶ側」、学生は「選ばれる側」になる。
その瞬間、会場から姿を消す学生が一気に増える。
これは偶然じゃない。
選ばれる側に立つことへの抵抗だと思う。
逃げても、今は就職できてしまう時代。
たしかに、逃げても今は就職できる。
「落ちない時代」になった。
誰かが拾ってくれる。
けれど、それで本当に自分の人生を“選べている”と言えるだろうか。

選ばれないことを恐れて、挑戦の場から逃げる。
でも、その「逃げ」がいつのまにか自分の生き方のクセになる。
そして社会に出ても、“選ばれる立場”を避け続けるようになる。
「売る側」「支える側」に立つ勇気。
社会に出れば、誰もが“選ばれる側”に立つ。
営業はお客様に選ばれ、デザイナーはクライアントに選ばれ、社員は上司やチームに評価される。
つまり、生きるとは、選ばれ続けることだ。
それを嫌がる若者が増えている。
「会社に入ってまで、誰かに評価されたくない」
「上司に指示されたくない」
そう考える人が、確実に増えている。
でも、それは商品力やスキルの問題ではない。
“立場”の問題だ。
「選ばれる側に立つこと」そのものが怖い。
ワークとライフを切り分けるほど、仕事はつまらなくなる。
「ワークライフバランス」という言葉を、
“仕事はイヤなこと、プライベートが楽しいこと”と分けて考える人が多い。
でも、それって不幸だ。
ワークもライフの一部だ。
分けてしまえば、仕事は「我慢の時間」になってしまう。
やらされているだけの時間に、やりがいなんて生まれない。

警察も消防も政治家も、職業には「やらなきゃいけないこと」がある。
でも、その中で人は誇りや使命を見つけていく。
それが“働く”ということだ。
やりがいとは、昨日の自分を越えること。
「やりがいって何ですか?」と学生によく聞かれる。
たぶん彼らの多くは、“楽しさ”の延長としてそれを聞いている。
でも、私はこう答える。
「昨日の自分を越える面白さを知ったとき、
それが“やりがい”だよ。」
それは、拍手や評価ではなく、自分の中にある小さな達成感だ。
「前より少しできた」「昨日より成長できた」——
その積み重ねが“自己実現”という大きな言葉につながっていく。

SNSの“切り取り”では見えない、連続の中のやりがい。
最近のSNSの発信を見ていると、
「この一瞬」だけを切り取った正義や成功ばかりが流れてくる。
でも、実際の仕事には前後の物語がある。
失敗も、努力も、迷いも、全部つながっている。
僕らの言う「やりがい」は、その“連続の中”にある。
一枚の切り取りじゃなくて、
「昨日」と「今日」と「明日」が地続きで続く、その流れの中にある。
選ばれる側に立つ勇気。
それは、自分を見つめ直す革命だ。
逃げることは悪くない。
でも、逃げたままでは“やりがい”の扉は開かない。
君が「選ばれる側」に立った瞬間から、
人生はようやく“ライブ”になる。