「選ばれる側」に立つ勇気を持て。

2025年11月6日

夏休み前、とある大学の学生が30人集まったイベントがあった。
これは夏休みの前後2回のシリーズ講座。
でも、夏休み明けの後編には7人しか来なかった。

なぜか?

夏休み明けは「本選」——つまり、“選ばれるタイミング”だからだ。
インターンまでは学生が「選ぶ側」。
ところが秋からは、企業が「選ぶ側」、学生は「選ばれる側」になる。
その瞬間、会場から姿を消す学生が一気に増える。

これは偶然じゃない。
選ばれる側に立つことへの抵抗だと思う。


逃げても、今は就職できてしまう時代。

たしかに、逃げても今は就職できる。
「落ちない時代」になった。
誰かが拾ってくれる。
けれど、それで本当に自分の人生を“選べている”と言えるだろうか。

選ばれないことを恐れて、挑戦の場から逃げる。
でも、その「逃げ」がいつのまにか自分の生き方のクセになる。
そして社会に出ても、“選ばれる立場”を避け続けるようになる。


「売る側」「支える側」に立つ勇気。

社会に出れば、誰もが“選ばれる側”に立つ。
営業はお客様に選ばれ、デザイナーはクライアントに選ばれ、社員は上司やチームに評価される。
つまり、生きるとは、選ばれ続けることだ。

それを嫌がる若者が増えている。
「会社に入ってまで、誰かに評価されたくない」
「上司に指示されたくない」
そう考える人が、確実に増えている。

でも、それは商品力やスキルの問題ではない。
“立場”の問題だ。
「選ばれる側に立つこと」そのものが怖い。


ワークとライフを切り分けるほど、仕事はつまらなくなる。

「ワークライフバランス」という言葉を、
“仕事はイヤなこと、プライベートが楽しいこと”と分けて考える人が多い。
でも、それって不幸だ。

ワークもライフの一部だ。
分けてしまえば、仕事は「我慢の時間」になってしまう。
やらされているだけの時間に、やりがいなんて生まれない。

警察も消防も政治家も、職業には「やらなきゃいけないこと」がある。
でも、その中で人は誇りや使命を見つけていく。
それが“働く”ということだ。


やりがいとは、昨日の自分を越えること。

「やりがいって何ですか?」と学生によく聞かれる。
たぶん彼らの多くは、“楽しさ”の延長としてそれを聞いている。
でも、私はこう答える。

「昨日の自分を越える面白さを知ったとき、
それが“やりがい”だよ。」

それは、拍手や評価ではなく、自分の中にある小さな達成感だ。
「前より少しできた」「昨日より成長できた」——
その積み重ねが“自己実現”という大きな言葉につながっていく。


SNSの“切り取り”では見えない、連続の中のやりがい。

最近のSNSの発信を見ていると、
「この一瞬」だけを切り取った正義や成功ばかりが流れてくる。
でも、実際の仕事には前後の物語がある。
失敗も、努力も、迷いも、全部つながっている。

僕らの言う「やりがい」は、その“連続の中”にある。
一枚の切り取りじゃなくて、
「昨日」と「今日」と「明日」が地続きで続く、その流れの中にある。


選ばれる側に立つ勇気。
それは、自分を見つめ直す革命だ。
逃げることは悪くない。
でも、逃げたままでは“やりがい”の扉は開かない。

君が「選ばれる側」に立った瞬間から、
人生はようやく“ライブ”になる。