社会はYouTubeじゃない。

2025年11月6日

最近、講師仲間と話していて出た言葉がある。
「今の学生って、YouTube見てるみたいに授業を受けるよな」と。

その場にいた大学生たちにその話をしてみたら、みんな笑っていた。
つまり、自覚はある
「確かにそうかも」って、うすうす分かってるのだ。


反応が薄い。けれど、それは“悪気”じゃない。

講師をしていると、こちらが全力で話しても学生の反応がないことがある。
頷きも、表情の変化もなく、私にとってはまるで画面越しに見られているような感覚。
まさに「再生ボタンを押したら勝手に流れる動画」みたいだ。

でも、誤解しないでほしい。
それは、彼らが怠けてるとか、やる気がないとかではない。
「見る」ことに慣れすぎて、「参加する」ことを忘れているだけだ。


人生は“再生”じゃなく“ライブ”だ。

YouTubeは一方通行だ。
見て、笑って、スキップして、終わり。
反応しなくても何も起こらない。
でも、社会は違う。

君が評価されるのは、「見た」結果ではなく、「どう動いたか」だ。
自分が“再生ボタン”を押す側から、“出演する側”になる。
この意識を持てるかどうかが、学生と社会人の分かれ道だと思う。


スマホの画面を見ていると、表情筋がサボる。

電車の中を見てほしい。
老若男女、みんな無表情でスマホを見ている。
でも、社会に出たら、表情こそ最大のコミュニケーションツールになる。
「表情が乏しい」「反応がない」——これだけで損している人は多い。

自分が評価される側に立ったとき、
“無表情な受け身”がどれだけ印象を悪くするか、意識してほしい。


「見る側」から「見られる側」へ。

社会はYouTubeじゃない。
見てるだけでは何も変わらない。
君が参加し、声を出し、動くことで初めて世界が反応する。

再生ボタンを押すのは、もう君自身だ。
見られる覚悟を持て。動く勇気を持て。
それが、社会で生きるということだ。