社会はYouTubeじゃない。
最近、講師仲間と話していて出た言葉がある。
「今の学生って、YouTube見てるみたいに授業を受けるよな」と。

その場にいた大学生たちにその話をしてみたら、みんな笑っていた。
つまり、自覚はある。
「確かにそうかも」って、うすうす分かってるのだ。
反応が薄い。けれど、それは“悪気”じゃない。
講師をしていると、こちらが全力で話しても学生の反応がないことがある。
頷きも、表情の変化もなく、私にとってはまるで画面越しに見られているような感覚。
まさに「再生ボタンを押したら勝手に流れる動画」みたいだ。
でも、誤解しないでほしい。
それは、彼らが怠けてるとか、やる気がないとかではない。
「見る」ことに慣れすぎて、「参加する」ことを忘れているだけだ。
人生は“再生”じゃなく“ライブ”だ。

YouTubeは一方通行だ。
見て、笑って、スキップして、終わり。
反応しなくても何も起こらない。
でも、社会は違う。
君が評価されるのは、「見た」結果ではなく、「どう動いたか」だ。
自分が“再生ボタン”を押す側から、“出演する側”になる。
この意識を持てるかどうかが、学生と社会人の分かれ道だと思う。
スマホの画面を見ていると、表情筋がサボる。
電車の中を見てほしい。
老若男女、みんな無表情でスマホを見ている。
でも、社会に出たら、表情こそ最大のコミュニケーションツールになる。
「表情が乏しい」「反応がない」——これだけで損している人は多い。

自分が評価される側に立ったとき、
“無表情な受け身”がどれだけ印象を悪くするか、意識してほしい。
「見る側」から「見られる側」へ。
社会はYouTubeじゃない。
見てるだけでは何も変わらない。
君が参加し、声を出し、動くことで初めて世界が反応する。
再生ボタンを押すのは、もう君自身だ。
見られる覚悟を持て。動く勇気を持て。
それが、社会で生きるということだ。