中川コーイチの生い立ち
反骨精神でいっぱいの高校時代
高校時代は家族の生活費を稼ぐことで精いっぱいでした。今思えば生活保護を受けられるレベルでしたが、あの頃はその知恵さえなかった。
学校が終わったらバイト先へ直行する日々。いつもホームルームに出ないので先生に怒られました。で「バイトしないと食べていけない」と言いたくなかったので「遊ぶ金、欲しいねん」と言い張り、当時の先生には常に反抗的な態度を取っていた記憶があります。 「そんなことでは大学入学も就職もできない」と言われ、今から思えば先生なりのやさしさだったんでしょうが、余計に反抗的な態度になりました。
そんな暗い高校時代、私がバイトで急いで学校を出るとき、部活で奏でる楽器の音色が聞こえてくるのが切なかった~。その音色を聞きながらバイト先へ急ぐ日々。月曜から日曜まで働いてました。月~金はイズミヤ、土日はダイエー。
一方、学園祭では評判が良かったですね。長渕剛の弾き語りをひとりでやったりして。ひとりでステージに立ったあの当時の自分をほめてやりたい。 2年生の時の担任はギターを弾く先生で、私のことをほめてくれたのを覚えています。
お金が無いのは相変わらずで、「私立は金銭的に無理、国立しか行けない」と思って必死に勉強しました。3年生の時の担任の先生にはある日、数学で悪い点を取ったら「死ね」とまで言われたのにはびっくりしましたよ。今とは時代が違うとはいえ、ねぇ(苦笑)。
とにかく高校生のころは先生には反抗的な態度を取っていましたが、いつもニコニコと笑顔を忘れなかったのでクラスのみんなには好かれてましたね。