中川コーイチの生い立ち
ハングリー精神を培った中学時代

中学生になると、ギターを始めました。そのきっかけは親父がどこかからもらってきたギターでした。実は当時から私に音楽の才能はありませんでした。例えばハーモニカや縦笛を吹くときは居残り練習させられたりしていましたからね。でもそのギターだけはなぜか弾けそうな気がして、練習を始めて、独学で勉強しました。今のようにYouTubeなどない時代ですから、文字通り手探りでしたね。
ところが、このころ父親が失踪。生活費と学費をバイトで稼ぐ、心身ともにつらい日々を送る中で、子供ながらに「俺は私立の学校には行けない」と思ったので、公立高校に行くために一生懸命勉強しました。勉強して結果が出ると目立つのが嬉しかったのを覚えています。
ハングリー精神はこの時に培われたと思います。
このときの先生も良い先生でしたね。 とにかく明るくて生徒に人気の先生でした。私が所属するバスケ部の顧問で私のクラスの担任ということもあり、この先生からはすごく影響を受けました。
実はこの先生は在日朝鮮人で大阪で初めて教員になった方だったんです。部落差別との2重苦を乗り越えられたんですが、とにかくすごい苦労の中で培われたハングリー精神の持ち主で、しかも授業の中でその生い立ちを包み隠さず話してくれました。
今思えば世の中の矛盾、不合理を伝えたかったのでは。「それを乗り越えろ」というメッセージを伝えてくれていたんだと思います。
卒業してからもこの先生との付き合いは続きました。今の私の『就活講師』という仕事をすごく褒めてくれ、教壇に立つ心構えなどを教えてくれましたね。 今から3年ほど前に亡くなる直前までお会いしていました。この先生には言葉では語りつくせないほど感謝しています。まさに私の恩師と言える方でした。