中川コーイチの生い立ち
株式会社V3は「変身応援カンパニー」を標榜しています。では私自身はどのように変身してきたのか。今の中川コーイチはどのようにして形作られたのかをお伝えしたいと思います。
強メンタルの萌芽が見える小学生時代
小学校の頃で思いだすのは何といっても給食の時間。
呼ばれてもいないのに、私は給食を早々に終えてみんながまだ食べている前に立って勝手に出し物をしてました(笑)。歌や漫才をね。誰からも呼ばれてもないのにですよ。それだけ好きだったんですね、人前に立つのが。メンタル面もその時に鍛えられたんだと思います。どれだけみんなが引いてても、みんなが聞いてないのが分かってても、やり続けました。あの状況でなんで人前に立てたのか、今思い返しても理解に苦しみます。今、あのメンタルは無いですね(笑)。
当然ながら家に帰ったら明日の出し物を考えないといけないので、宿題をやる時間がない。担任の先生もそれを分かっていて、授業が始まると「宿題してないやつ出てこいー」って私を狙い撃ち。毎回堂々と前に出る私に対して先生は笑みを浮かべながらもみあげを引っ張り上げました。
でも不思議と嫌な感じはしなかったですね。予定調和とでもいいましょうか、先生もこの小学生の考えていること、やっていることを分かっているので、笑いに昇華してくれていたんだと思います。当時小学6年生でした。
今思えば小学生のころの先生方には恵まれましたね。
小学3年生の時の先生もなぜか私のことを気に入ってくれて、例えば学芸会の時は「中川君、台本考えなさい」ってご指名でした。当時の私は毎週土曜日にテレビから流れる吉本新喜劇を正座してノート付けながら観てましたので、学芸会でも嬉々として台本を書き、ぬけぬけと主演を演じましたよ。